1. 概要
ビジネス戦略と目標の設定・評価は、組織が長期的な成功を実現するための重要な経営プロセスです。このプロセスでは、企業の根本的な存在意義を表すMVV(ミッション、ビジョン、バリュー)を起点として、具体的な戦略目標を定め、その達成度を測定・評価する一連の流れを体系化します。情報システム部門においても、全社戦略やビジネス戦略との整合性を確保しながら目標を設定し、効果的な評価を行うことが不可欠です。近年のデジタルトランスフォーメーション(DX)の加速に伴い、情報システム部門はコスト部門から価値創出部門へと変革を求められており、戦略的な目標設定と評価の重要性がますます高まっています。
IPAのシラバスでは、ビジネス戦略と目標の設定・評価の手順として、(i)企業理念、企業ビジョン、全社戦略を踏まえてビジネス環境分析、ビジネス戦略立案を行い、具体的な戦略目標を定める、(ii)目標達成のために重点的に取り組むべきCSF(Critical Success Factors:重要成功要因)を明確にする、(iii)目標達成の度合いを計るための指標を設定し評価する、というステップが示されています。本記事ではこの手順に沿って詳細に解説します。
情報処理技術者には、技術的な知識だけでなく、このようなビジネス戦略と目標設定・評価の基本的な考え方を理解し、自らの業務に活かす能力が求められます。
2. 詳細説明
2.1 ビジネス戦略と目標設定の主要概念
ビジネス戦略と目標設定のプロセスは、企業のMVVに基づいて体系的に構築されます。ミッションは組織の存在目的、ビジョンは将来のあるべき姿、バリューは組織の行動原則を表します。これらを基盤として、環境分析を通じてビジネス戦略が策定されます。
図1:ビジネス戦略と目標設定のヒエラルキー
環境分析においては、SWOT分析(強み・弱み・機会・脅威)、PEST分析(政治・経済・社会・技術)、ファイブフォース分析(競争要因分析)などの手法が活用されます。これらの分析結果を踏まえ、差別化戦略やコスト戦略などのビジネス戦略オプションが検討されます。
ビジネスモデルキャンバスは、ビジネスの全体像を9つの要素(顧客セグメント、価値提案、チャネル、顧客関係、収益の流れ、主要リソース、主要活動、パートナーシップ、コスト構造)で可視化するツールとして広く活用されています。このツールを用いることで、ビジネスモデルの全体像を俯瞰し、戦略的な改善点を特定することができます。また、環境分析の結果をビジネスモデルキャンバスに反映させることで、より実効性の高いビジネス戦略を立案することが可能になります。
図2:ビジネスモデルキャンバスと戦略目標への展開
ビジネス戦略に基づいて、組織は具体的な目標を設定します。この目標設定において重要なのが、KGI(Key Goal Indicator:重要目標達成指標)とKPI(Key Performance Indicator:重要業績評価指標)の設定です。KGIは最終的に達成すべき目標を定量的に表したもので、例えば「年間売上高20億円」や「市場シェア30%」などが該当します。一方、KPIはKGI達成のための過程で管理すべき中間指標であり、「月間新規顧客獲得数」や「顧客一人当たりの平均購入金額」などが例として挙げられます。KGIとKPIは「目的と手段」の関係にあり、KPIの改善がKGIの達成につながるように設計することが重要です。
目標達成のためには、CSF(Critical Success Factors:重要成功要因)を明確にすることも不可欠です。CSFは目標達成のために重点的に取り組むべき要因で、「顧客満足度の向上」「業務プロセスの効率化」などが例として挙げられます。CSFを特定することで、限られたリソースを効果的に配分し、KGIの達成確率を高めることができます。
目標設定においては、SMART原則(Specific:具体的、Measurable:測定可能、Achievable:達成可能、Relevant:関連性がある、Time-bound:期限がある)に基づいて設定することが推奨されています。この原則に従うことで、抽象的で評価困難な目標ではなく、具体的で実行可能な目標を設定することができます。
2.2 目標の評価とモニタリング
設定した目標に対しては、定期的なモニタリングと評価が必要です。モニタリングでは、KPIの進捗状況を継続的に把握し、必要に応じて軌道修正を図ります。評価においては、定量的な指標だけでなく、定性的な評価も併用することで、多角的な分析が可能になります。
バランススコアカード(BSC)は、財務、顧客、内部プロセス、学習と成長という4つの視点から組織のパフォーマンスを評価するフレームワークとして、多くの企業で採用されています。BSCの4つの視点は相互に関連しています。「財務の視点」は最終的な財務成果を表し、「顧客の視点」は顧客に提供する価値を示します。「内部プロセスの視点」は業務の効率性や品質を表し、「学習と成長の視点」は組織の変革や改善能力を示します。これらは因果関係を持っており、学習と成長が内部プロセスを改善し、それが顧客価値を高め、最終的に財務成果につながるという構造になっています。
図3:バランススコアカードの4つの視点と情報システム部門の指標例
情報システム部門においては、「学習と成長」としてIT人材のスキル向上、「内部プロセス」としてシステム開発プロセスの改善、「顧客」として社内ユーザー満足度の向上、「財務」としてIT投資対効果の最大化などが設定されることがあります。
OKR(Objectives and Key Results)は、野心的な目標(Objectives)と、その達成度を測定する具体的な成果指標(Key Results)を組み合わせた目標管理手法です。KGI/KPIと異なる点は、Objectivesが定性的で意欲的な表現になることが多く、達成率70〜80%程度を目指す点にあります。また、短期(四半期ごと)で設定・評価されることが多く、組織の俊敏性を高める効果があります。Key Resultsは通常3〜5個設定され、明確に測定可能なものとします。例えば、「ユーザー体験の革新的な改善」というObjectiveに対して、「ユーザーセッション時間20%増加」「アプリ評価4.5以上達成」「機能使用率30%向上」などのKey Resultsが設定されます。
新規事業や大規模プロジェクトを実施する前には、フィージビリティスタディ(実現可能性調査)を行うことが重要です。これにより、技術的・経済的な実現可能性を事前に評価し、リスクを最小化することができます。フィージビリティスタディでは、技術的な実現可能性、経済的な実現可能性(ROI分析など)、運用面での実現可能性などを多角的に評価します。情報システム部門が関わるプロジェクトでは、特に既存システムとの互換性や技術的な実現可能性の評価が重要になります。
3. 実装方法と応用例
3.1 ビジネス戦略と目標設定の実装手順
ビジネス戦略と目標設定の実装は、一般的に以下のステップで進められます。
- 企業のMVVの確認: 組織のミッション、ビジョン、バリューを明確化し、全社で共有します。
- 環境分析: 外部環境と内部環境を分析し、機会や脅威、強みや弱みを特定します。
- ビジネス戦略の立案: 環境分析を踏まえ、差別化戦略やコスト戦略などの戦略オプションを検討します。
- 戦略目標(KGI)の設定: 具体的で測定可能な目標を設定します。
- CSFの特定: 目標達成のために重要な成功要因を明確にします。
- KPIの設定: CSFに基づいて、進捗を測定するための指標を設定します。
- アクションプランの策定: 目標達成のための具体的な行動計画を立案します。
- モニタリング体制の構築: KPIを定期的に測定・報告する仕組みを整備します。
- 定期的な評価と改善: 結果を評価し、必要に応じて戦略や目標を見直します。
これらのステップはPDCAサイクル(Plan-Do-Check-Action)と関連付けて実施されることが多く、継続的な改善のプロセスとして運用されます。
図4:ビジネス戦略と目標設定・評価のPDCAサイクル
3.2 応用例:IT部門における戦略目標の設定と評価
情報システム部門は、従来のコスト部門からビジネス価値創出部門へと役割が変化しています。あるECサイト運営企業のIT部門では、全社戦略「顧客体験の向上によるリピート率向上」に基づき、以下のような目標設定と評価を実施しました。
- KGI: Webサイトのコンバージョン率を現状の2%から3.5%に向上(1年以内)
- CSF:
- サイトのパフォーマンス改善
- UI/UXの向上
- パーソナライゼーション機能の強化
- KPI:
- ページ読み込み時間(目標:1.5秒以下)
- ユーザーあたりの滞在時間(目標:前年比20%増)
- カートの放棄率(目標:現状40%から30%へ低減)
- モバイル経由の購入比率(目標:前年比15%増)
この目標設定に基づき、IT部門はシステム基盤の最適化、UI改善プロジェクト、レコメンドエンジンの導入などの施策を実施しました。重要なのは、これらの目標が全社戦略から導出され、単なるシステム指標ではなくビジネス成果に直結している点です。四半期ごとにKPIのモニタリングを行い、進捗が芳しくない領域については原因分析と対策を講じました。その結果、1年後にはコンバージョン率3.2%を達成し、全社の売上向上に貢献しました。
情報システム部門特有の課題として、投資対効果(ROI)の測定の難しさがあります。システム投資の効果が表れるまでに時間がかかる場合や、間接的な効果が大きい場合があるため、短期的KPIと長期的KGIをバランスよく設定することが重要です。
3.3 最新動向
近年のビジネス戦略と目標設定・評価においては、以下のような動向が見られます。
- アジャイル型の目標設定: 不確実性の高い環境に適応するため、短期サイクルでの目標設定と評価を繰り返すアプローチが増加
- データドリブンな評価: AIや高度な分析技術を活用した客観的評価の重視
- ESG要素の統合: 環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の要素を戦略目標に統合する動き
- デジタル技術の活用: ダッシュボードやビジネスインテリジェンスツールを活用したリアルタイムモニタリングの普及
4. 例題と解説
例題1: 基本的な理解を問う問題
【問題】 ある情報システム部門では、全社戦略「業務効率化による収益性向上」に基づき、KGIとして「全社の業務コスト15%削減(1年以内)」を設定しました。この目標達成のために設定すべきKPIとして最も適切なものはどれですか。
- 年間売上高
- 情報システム部門の人員数
- 基幹システムの可用性
- 業務システム利用によるプロセス所要時間の削減率
【解答】 d.
【解説】KPIはKGI達成のために管理すべき業績指標です。この場合のKGI「全社の業務コスト15%削減」に最も直接的に関連するのは、「業務システム利用によるプロセス所要時間の削減率」です。これが向上すれば業務効率化が進み、コスト削減に直結します。選択肢 a. の「年間売上高」はコスト削減ではなく収益に関する指標、選択肢 b. の「情報システム部門の人員数」は単純な人員削減がKGIに寄与するとは限りません。選択肢 c. の「基幹システムの可用性」は重要ですが、直接的なコスト削減効果を測る指標としては適切ではありません。
例題2: 応用的な考え方を問う問題
【問題】ある小売企業のIT部門長は、新しいオムニチャネル戦略の一環として、店舗とECサイトの在庫管理システムを統合するプロジェクトを計画しています。このプロジェクトの実施前に行うフィージビリティスタディの内容として、最も適切でないものはどれですか。
- 既存システムとの技術的互換性の調査
- 投資対効果(ROI)の分析
- 業界内での同様のシステム導入の先行事例調査
- プロジェクト実施後の組織構造の詳細設計
【解答】4
【解説】フィージビリティスタディは、プロジェクトの実現可能性を技術面、経済面、運用面など多角的に調査するものです。選択肢1の「既存システムとの技術的互換性の調査」は技術的実現可能性の核心部分です。選択肢2の「投資対効果(ROI)の分析」は経済的実現可能性の評価として不可欠です。選択肢3の「業界内での同様のシステム導入の先行事例調査」はリスク分析や成功要因の特定に役立ちます。一方、選択肢4の「プロジェクト実施後の組織構造の詳細設計」は、フィージビリティスタディの段階では詳細すぎる内容です。フィージビリティスタディでは組織への影響の概要を評価することはありますが、詳細な組織設計はプロジェクト承認後の実施フェーズで行うべき作業です。
5. まとめ
ビジネス戦略と目標の設定・評価は、企業が持続的に成長・発展するための基盤となるプロセスです。MVVを起点として、環境分析、戦略立案、目標設定、CSFの特定、KPI設定、モニタリング、評価という一連の流れを体系的に実行することが重要です。情報システム部門においても、全社戦略との整合性を確保しながら、具体的な目標を設定し、その達成度を客観的に評価することが求められます。
応用情報処理技術者試験においては、これらの概念の基本的な理解と、具体的な状況での適用方法が問われます。特にKGIとKPIの関係性、CSFの意義、フィージビリティスタディの位置づけなどは、頻出ポイントとして押さえておくことが重要です。さらに、近年のデジタル技術の発展に伴い、より柔軟で迅速な目標設定・評価の手法についても理解を深めておくことをお勧めします。