<< 2.1.3. CX(Customer Experience:顧客体験)デザイン
1. 概要
サービスデザインとは、人間中心設計(Human-Centered Design)に基づき、製品・サービスに接する顧客の体験価値だけではなく、顧客体験を継続的に実現するための組織や仕組みをデザインすることによって、新たな価値を創出するアプローチです。従来の製品中心の設計から、顧客体験(カスタマーエクスペリエンス)を中心とした設計へと視点を転換する方法論であり、デジタルトランスフォーメーション(DX)推進においても重要な役割を果たしています。
サービスデザインはユーザー中心設計の概念を拡張し、顧客がサービスと接するタッチポイントやカスタマージャーニーの設計を通じて、サービス全体のエコシステムを包括的に捉える点が特徴です。IT領域においても、単なるインターフェース設計だけでなく、顧客との接点や業務プロセス、組織文化までを含めた総合的なデザインアプローチとして注目されています。
図1:サービスデザインの概念図
2. 詳細説明
2.1. サービスデザインの6原則
サービスデザインの基本概念を理解するうえで重要なのが「サービスデザインの6原則」です。これらは、サービスデザインの実践において常に意識すべき原則として広く認知されています。
- 人間中心:サービスは人間の本質的なニーズとコンテキストを理解することから始まります。技術ありきではなく、実際の利用者の視点でデザインを行います。
- 共働的であること:多様なステークホルダーを巻き込み、参加型デザインのプロセスを通じて共創することが重要です。これにより、様々な視点や専門知識を取り入れた包括的なサービスが実現します。
- 反復的であること:一度で完璧なデザインを目指すのではなく、プロトタイピングとテストを繰り返し、継続的に改善していくプロセスを重視します。
- 連続的であること:サービスは一連の連携した行動として捉え、顧客体験の全体の流れをシームレスにデザインします。
- リアルであること:抽象的な概念にとどまらず、実際の環境での検証や可視化を行い、具体的に実現可能なアイデアを追求します。
- ホリスティック(全体的)な視点:サービスの断片的な部分ではなく、関連するすべての要素や環境を包括的に捉えてデザインします。
図2:サービスデザインの6原則
2.2. デザイン思考とサービスデザイン
サービスデザインは、デザイン思考(Design Thinking)のアプローチと密接に関連しています。デザイン思考が「共感→問題定義→創造→プロトタイピング→テスト」のプロセスで問題解決を図るのに対し、サービスデザインはこれを拡張し、顧客体験とそれを支える組織やシステム全体にまで視野を広げます。両者は相互補完的に活用されることが多く、特にITシステム開発においては、技術的な実装前の構想段階でデザイン思考を用い、その後のサービス全体の設計にサービスデザインの手法を適用するというアプローチが効果的です。
2.3. サービスデザインの主要ツール
サービスデザインでは、顧客体験を深く理解し設計するためのツールとして「ペルソナ」と「カスタマージャーニーマップ」が広く活用されています。ペルソナは仮想的なユーザープロファイルを作成し、対象ユーザーの特性や行動パターン、ニーズを具体化する手法です。一方、カスタマージャーニーマップは、顧客がサービスと接する一連の体験(旅)を時系列で可視化し、各タッチポイントでの感情や課題を明らかにするツールです。
また、サービスの全体像と内部プロセスを可視化するための手法として「サービスブループリント」があります。これは顧客の行動、フロントステージの活動(顧客に見える部分)、バックステージの活動(顧客には見えない部分)、サポートプロセス(システムや業務プロセス)を層として表現し、サービス提供の仕組み全体を俯瞰するためのツールです。これによって、顧客接点を支える組織内の活動やシステムの関連性を明確にし、シームレスな顧客体験の実現に必要な要素を設計することができます。
図3:サービスデザインツールの関連性マップ
2.4. 参加型デザイン
サービスデザインにおいて重要な方法論のひとつが「参加型デザイン」です。これは、サービスの利用者や提供者を含む多様なステークホルダーがデザインプロセスに積極的に参加し、共に創造していく手法です。従来のデザイナー主導のアプローチとは異なり、実際のユーザーや関係者の知恵や経験を直接デザインに反映させることで、より実用的で受け入れられやすいサービスを生み出すことが可能になります。
具体的な手法としては、ワークショップ形式のコ・クリエイションセッション、プロトタイプを使った参加型評価、デザインゲームなどがあります。IT分野では、アジャイル開発やDevOpsの考え方とも親和性が高く、継続的なフィードバックと改善のサイクルを実現する基盤となります。参加型デザインは単なるユーザーテストとは異なり、問題定義の段階からユーザーを巻き込む点が特徴的です。
2.5. サービス・ドミナント・ロジックと共創
現代のサービスデザイン理論の基盤となる重要な概念として、「サービス・ドミナント・ロジック(S-Dロジック)」があります。これは、すべての経済活動はサービス交換であり、価値は提供者と顧客の共創によって生まれるという考え方です。この視点では、企業は価値を一方的に提供するのではなく、顧客との相互作用を通じて価値を共に創造するプロセスをデザインすることが重要になります。サービスデザインはこの「共創」の概念を実践するための方法論として位置づけられ、顧客参加型のサービス開発や、継続的な関係構築を通じた価値創造の実現を目指します。
3. 実装方法と応用例
3.1. サービスデザインのプロセス
サービスデザインのプロセスは一般的に以下のステップで進められます:
- 探索(Exploration):利用者や市場のリサーチを通じて、ニーズや課題を発見します。この段階では、インタビュー、観察、アンケート調査などの方法が用いられます。ペルソナの作成もこの段階で行われることが多いです。
- 創造(Creation):発見した課題に対する解決策を創造します。ワークショップやブレインストーミングを通じて、参加型デザインの手法を活用しながらアイデアを生み出します。カスタマージャーニーマップを活用して、理想的な顧客体験を設計します。
- 検証(Reflection):プロトタイプを作成し、実際の利用者とともに検証します。反復的なプロセスを通じて、改善点を見つけ出します。サービスブループリントを活用して、フロントステージとバックステージの整合性を確認します。
- 実装(Implementation):検証結果をもとに実際のサービスを構築し、組織や業務プロセスの変革も含めて実装します。この段階では、具体的な業務マニュアルの作成や、IT連携の構築なども行います。
3.2. ITシステム開発との統合
ITシステム開発におけるサービスデザインの適用では、UI/UXデザインにとどまらず、バックエンドシステムの設計やAPIの構成、データモデルの設計までを包括的に捉えることが重要です。例えば、マイクロサービスアーキテクチャの採用判断においても、サービスブループリントを活用して顧客体験とシステム構成の関連性を可視化することで、より適切な技術選択が可能になります。
デジタルサービスのサービスデザインでは、オムニチャネル体験の設計や、デジタルとフィジカルのタッチポイントの連携設計が重要になります。また、データ駆動型の継続的改善サイクルを構築することで、サービスデザインの「反復的であること」の原則を技術的に実現することができます。
図4:ECサイトのサービスブループリント例
3.3. 実際の応用例
- 医療サービスの改善:患者の入院から退院までの体験をカスタマージャーニーマップで可視化し、ストレスポイントを特定。医療スタッフとの協働デザインワークショップを通じて、患者中心の新しいサービスフローを設計。電子カルテシステムとの連携も含めた包括的なサービスブループリントを作成し、情報共有の改善と患者体験の向上を実現。
- 銀行のデジタルトランスフォーメーション:複数のペルソナを活用して多様な顧客層のニーズを理解し、物理的な店舗とデジタルチャネルを統合したシームレスな金融体験をサービスブループリントで設計。バックオフィスプロセスの自動化と顧客接点の人的対応の最適なバランスを、ホリスティックな視点から再設計することで、コスト効率と顧客満足度の両立を実現。
- 製造業のサブスクリプションモデル導入:従来の製品販売からサービスベースのビジネスモデルへの転換において、サービスデザインの手法を活用。顧客との長期的な関係構築を前提としたカスタマージャーニーを設計し、製品のIoT化によるデータ収集とサービス品質向上のサイクルを構築。組織構造も製品部門からサービス部門への重点シフトを含めて再設計。
図5:サービスデザインとITシステム開発の統合プロセス
4. 例題と解説
例題1:基本的な理解を問う問題
サービスデザインの6原則のうち、「ホリスティック(全体的)な視点」が意味するものとして最も適切なものはどれか。
- 顧客の感情的な側面に焦点を当てること
- サービスの断片ではなく、関連するすべての要素や環境を包括的に捉えること
- ITシステムの統合性を優先すること
- 短期的な成果よりも長期的な顧客関係を重視すること
【解答】b
【解説】サービスデザインにおける「ホリスティック(全体的)な視点」とは、サービスの一部分だけでなく、サービスに関わるすべての要素(人、モノ、環境、組織、プロセスなど)を包括的に捉えてデザインすることを意味します。これにより、サービスの断片的な最適化ではなく、全体として一貫性のある優れた顧客体験を実現することができます。
例題2:応用的な考え方を問う問題
ある企業がITシステムの刷新を検討している。プロジェクトマネージャーは、サービスデザインの考え方を取り入れ、顧客体験の向上とバックオフィス業務の効率化を同時に実現したいと考えている。次のうち、このプロジェクトの初期段階で最も優先して実施すべき活動はどれか。
- 既存システムの機能要件を洗い出し、新システムに必要な機能を特定する
- 複数のペルソナを作成し、カスタマージャーニーマップで現状の課題を可視化する
- 社内の各部門の業務プロセスを分析し、効率化可能な領域を特定する
- 最新のIT技術トレンドを調査し、導入可能なソリューションを検討する
【解答】b
【解説】サービスデザインでは「人間中心」の原則に基づき、まず顧客体験の理解から始めることが重要です。ペルソナとカスタマージャーニーマップの作成により、現状のサービスにおける顧客の体験や課題点を包括的に把握できます。これにより、真に価値を生み出すITシステムの要件を特定できます。機能要件の洗い出し(選択肢a)や業務プロセスの分析(選択肢c)、技術トレンドの調査(選択肢d)はいずれも重要ですが、顧客ニーズの理解なしに行うと、真の価値創出につながらない可能性があります。特に初期段階では、ホリスティックな視点で顧客体験を理解することが最優先です。
5. まとめ
サービスデザインは単なる見た目や使いやすさのデザインではなく、人間中心設計に基づき、顧客体験を中心に据え、それを実現するための組織や仕組みまでを包括的にデザインするアプローチです。6つの原則(人間中心、共働的、反復的、連続的、リアル、ホリスティック)を基盤とし、ペルソナ、カスタマージャーニーマップ、サービスブループリントなどのツールと参加型デザインの手法を活用して実践されます。
デジタルトランスフォーメーション(DX)の文脈では、技術導入自体が目的ではなく、顧客価値の創出と業務変革を一体的に実現するためのアプローチとしてサービスデザインが重要な役割を果たします。IT技術者にとっては、技術的な実装能力だけでなく、顧客体験とビジネスプロセスを包括的に捉え、サービス全体をデザインする視点が求められています。
応用情報技術者試験では、サービスデザインの基本概念とツールの理解に加え、IT分野における実践方法や、ビジネス価値創出との関連性についても問われる可能性があります。特に、サービス・ドミナント・ロジックや共創の概念を含む最新のサービスデザイン理論の動向も押さえておくことが試験対策のポイントとなります。